Tamagawa cirmon at night

cirmonが書くブログです。

光と杖

 昨夜22時頃、家の近くを散歩していると、目が見えなく杖で前を確認しながら歩いている人とすれ違った。足取りはかなりゆっくりだった。街灯が少ない道だったため、心配になって見えなくなるまで見てしまったが、何事もなく歩いて行った。

 

 そういえば浪人生の時、塾の校舎から歩道橋を渡ってコンビニに昼食を買いに行った際、歩道橋で目が見えない杖を突いた人とすれ違ったが、帰り際でも同じ場所を歩いていたため、迷っているのではと思い声をかけたことがあった。するとやはり、歩道橋の降り口が複数あり迷ってしまっていたようだった。私が昼食を買ったコンビニを目指していたということなのでコンビニまで案内して別れた。

 

 目が見えない世界とは一体どんなものだろうか。今の私には想像もつかない。私は光を捉えて視覚を用いて歩いている。あの人たちは杖越しの触覚を用いて歩いている。世界の捉える手段が違う。触覚を頼りに歩く人は一体どんな風に世界を捉え感じているのだろうか。

路地裏の世界

 一本わき道にそれると、そこは大通りとは全く違う時間が流れていたりする。

 

 大学のレポートの息抜きに散歩へ繰り出した。普段はあまり行かない駅の向こう側を探索してみることにした。この街にきてはや一年経とうとしている。大学の授業もアルバイトも入らない週一の休みの日にこの街の飲食店を夕飯に訪れて開拓しよう。そんな期待を抱いてやってきたものの、コロナの状況下、気になる店は数多く発見しているが、どれも行く気にはなれずにいる。(あの店もそのうち...)という店を横目に何件か通り、駅の向こう側へと歩いていく。

 

 駅に近づくと、飲食店が軒を連ね華やかな電飾が灯る街になるが、駅を通り過ぎ反対側に出ると、また閑静な住宅街になる。この街はの住宅は、一軒家もアパートも半々くらいの割合で建っている。新しい家も多いが、古びた木造の一軒家もたまに見かけ、先が気になる路地もそこそこある。

 

 車通りの多い通りを歩いていると、ふとマンションと一軒家の間の細い路地が気になり足を踏み入れてみた。先が見えないと気になる。進んでみると昔ながらの電気屋?のような看板の建物があった。そこで道は終わっており、案外行き止まりは近かった。

 「電気屋…行き止まりか…」引き返そうかと思ったとき、

 

ザザッ!ザザッ!

 

突然右から乾いた落ち葉がこすれる音が聞こえた。日も暮れ電灯も灯る遅い夕方、おばあさんが落ち葉を集めていた。それまで音も人気も全く感じなかったため驚いた。通りでは車が走るすぐそばの路地では、古びた電気屋が佇む寂寥たる緩やかな時間の流れがあることに、たった数メートルに時空の隔たりの大きさを感じた。ぼやいていたのを聞かれただろうか。聞かれたところで何も問題はないが、そそくさとその路地を後にした。

 

 また元の通りに戻り進むと、またもや気になる路地を見つける。先ほどのより狭くないが入ってみる。ちょうど杖をついたおばあさんがゆっくりとその路地から出てくるところだった。そのおばあさんとすれ違い奥に進むと、またもや行き止まり。駐車場とアパートの階段があるだけの小さい空間だった。これ以上進む先がないかと周りを見渡し、何もないことがわかり引き返した。すると、先ほどすれ違ったおばあさんが立っており「誰かお尋ねですか?」と声をかけてくれた。散歩で気になったので通りかかのだと伝え、おばあさんの気づかいに感謝しその路地を後にした。行き止まり故にあまり客人は多くないのだろうか。散歩でこの路地を訪れたと聞いて、おばあさんは少し嬉しそうに笑っていた。

 

 その後もしばらく散歩を続けたが、人生何が起こるかわからないなぁ、という思いが先ほどのおばあさんと言葉を交わしたことで浮かんできた。一年前の自分は、この街に来て、あのおばあさんと言葉を交わすことがあると誰が予想していただろうか。あの人はどんな人生を経てあそこに暮らし、今どんな生活をしていて、そんな暮らしの中に、ひょっこりと散歩で路地に舞い込んできた私と言葉を交わしたのである。ほんの数秒の出来事だが、あの場で言葉を交わすに至るまでの人生を想像してみると、あの一瞬の人生の交わりが貴いものに思えてくる。

 

 路地裏の数秒から考えがいささか飛躍しすぎた気がする。だが散歩は日常ではありえなかった出来事へ、いつも生活している街であっても誘ってくれる。だから散歩はやめられん。

 

 民家のあいだにポツンと営んでいるパン屋を見つけ、今度買いにこうと決めて家に帰った。

大学へ

 先日、久々にレポート作成のための資料を借りに大学へ行った。

 

 私は去年の3月からシェアハウスを始めたため、現在の家から大学に登校する機会はこの一年間一度もなかった。実家から通っていたころは、家から片道2時間を要する通学であったため、大学への通学がオンライン授業によってなくなった当初は、面倒で無駄な移動時間がなくなり有意義な時間が増えたと喜んでいた。しかし、今回久々に大学に行くため電車に乗ったが、これはこれで悪くないなと思った。現在は、実家より大学に近い場所に住んでいるため、通学時間もかなり短く楽になり、かつ初めて現在の家から大学に向かう。そのこともあり新鮮さを感じつつも、登校が既に非日常になっていることも同時に実感した。

 

 最寄りの駅に着き、あまり大きく変わっていないことに少し安心感を覚える。去年まで毎日見ていた駅、コンビニ、大学通りの商店街。卒業した母校を訪れるような奇妙な懐かしさを感じながら大学への歩みを進めた。

 

 正門では警備員による検温が実施されていた。私の通う大学では、実習・実験等が必要な一部の対面授業は大学で行われているため、人の出入りはある。だが私の前に一人入構する人がいたが、他には警備員しかおらず、キャンパスは閑散としていた。学生証を見せ、検温、入構。キャンパスにいる人の数を制限しているため、誰が何時に入構したのかチェックしているようだ。

 

 自分の学科の授業が行われていた館を見に行くも、教室は誰もおらず、併設されているコンビニと書店以外には誰も人の気配はなかった。本当に自分はここに通っていて、現在もこの大学の学生なのか。実感のない大学生活にそんな疑念も浮かぶ。図書館に行けば誰かしらいるかもしれない、そう思い当初の目的を果たすべく、さっそく図書館へと向かった。

 

 3人。私がおずれたときに同じく図書館にいた職員以外の利用者は、私を除き3人しか見かけなかった。人がいたからどうかしようとも思っていなかったが、ここまでのキャンパスの変わりようには少し悲しくも思えてくる。3人のうち2人は遠くの席で一緒に勉強しているらしく、横を通りかかったときに見えたのは公務員試験の参考書だった。確かに誰もいない図書館での勉強は集中する環境には最適の環境である。そしてやはり、大学図書館ともなるとその圧倒的な蔵書量である。家の近くの地域図書館とは比べ物にならない。レポートで使う資料検索が一息ついた折、絶版で高額になっていた読みたい本を検索したら、所蔵されていて借りることができた。春休み中など大学図書館に赴くのもありかもしれぬ。せっかく学費を払っているのだ、こんな状況だが使えるものはとことん利用しようと思った。

 

 そうこうしているうちに入構できる時間も期限に迫り、資料で重くなったかばんを背負い、キャンパスを後にした。世間の状況を見るにまだまだ大学での授業はできそうにない。今回のように、意識的に行こうと決めないともう訪れることはないのかもしれない。この状況下で気づいたら「もう行かなくてもいい場所」になってしまうのは寂しいと思った。

深夜2時半、マグロについての備忘録

 こんばんは。cirmonです。

初めてのブログ記事です。書くことは特に決めていません。ですが、散歩や音楽、読書が好きなのでそのあたりのこと、日々なんとなく思ったことを書いてゆくのかもしれません。

 

 私は去年の春、緊急事態宣言が発令された4月から、細々ではあるが筋トレを続けている。そのころは家から出ることが世間的にも憚られるようになり、時間も持て余していたため、体を動かそうとシェアハウスの同居人が腹筋ローラーを買った。私も使っていいとのことで、ローラーを共用スペースに置き、風呂に入る前に膝をついて10回・1か月継続を目標に筋トレを始めた。4月に始まり、途中で1日おきになり、やめそうで続きそうな頻度になりつつも、なんだかんだで年があけた現在でも筋トレを続けている。腹筋ローラーを購入した当人は早々に飽き、もう一人の同居人は筋トレにあまり興味がないため、ローラーは今や私しか使っていない。今は腹筋ローラーを立ってできるようになり(まだまだ水平に体を伸ばしきることはできないが)、腕立て、スクワット、腕立て伏せを各10回を週に6日行っている(数を増やすと続かない)。継続の甲斐があってか腕や腹筋は若干盛りあがってきている。かつては習慣化アプリを使って筋トレをしたかチェックしていたが、それをしなくとも筋トレをする習慣ができている。今後もしばらくは細々筋トレを続けていくだろうと思う。

 

 そしてその筋トレの順番なのだが、スクワット(立ち)→ローラー(立ち)→腕立て伏せ(うつ伏せ)→背筋(うつ伏せ)という一連の順番で行っている。最後の背筋でやり切り、ふぅと脱力、床に突っ伏す。今日はその自分が「朝一で港で競られてるマグロ」に思え、しばらく床に伏せ「競られているマグロのものまね」をと称し、しばらく床でそのまま惚けてみた。

「1000万!1200万!さぁ次はいるんですか!はい!そこ!1500万!」

腹筋ローラーを早々にやらなくなった同居人が、架空のバイヤーを相手に私を競っていた。市場のマグロは、競りの喧騒の中でも全く動かない。海から引き揚げられ、絞められて、港に並び、バイヤーが好き好きに値段をつけていく。競られても、手鉤で引きずり回されて、これからいずこへ行こうとも...。

 

それでもマグロは動かない。

 

 最近すし食ってないなぁと思いつつ、風呂に入った(今日は生焼けの鶏肉を食べてお腹を下しました)。