Tamagawa cirmon at night

cirmonが書くブログです。

積載

コロナワクチン接種後3日が経過したが、いまだに倦怠感は残る。薬を飲めば多少は動けるようになるため、昨日は薬を飲んで近くのスーパーに買い物に出かけた。

 

米もなくなってたし、あ、あと水もケースで買っておかなきゃ…そういえばこれも……。必要なものをさっと買うつもりが、けっきょく自転車の前かごも後ろの荷台もいっぱいになってしまい、車体がかなり重かった。転倒の危険があったので、自転車を手で引いて歩いて帰ることにした。

 

スーパーから家までの道では、二車線の通りを歩く。街の中心を通り、都市へと続く道でもあるため、交通量はそれなりに多い。

その途中、一台の原付バイクが目を引いた。なんとバイクのフロアボードに自転車を載せて走行していたのだ。

そんなのありかよ。免許を持ってないのでわからないが、たぶんなしだと思う。乗っていたのは年もかなり召したおじいさんに見えたが。運んだ先で何に使うのだろう。

 

バイクに気をとられていたらバランスを崩し、ケース入りの水を落とした。

コンビニ発送

 フリマアプリを利用して、自分が出品する商品が売れると、それを発送するわけだが、コンビニ発送がどうも慣れない。

 持ち込んだ発送商品をレジで打ってもらい、専用のビニールのついたシールを貼り、その中に発行された伝票を封入する。その伝票の封入だけは発送者本人が入れなければならないらしく、店員さんに作業を頼まれるのだが、どうもスムーズにいかない。私は乾燥肌なのでなかなかビニールの境目がめくれず「難しですよね~」と言われながら介護されるように手伝ってもらう。手伝ってくれるならまだよく、こちらの悪戦苦闘をじっと見て待っている店員さんにあたると、なんともいたたまれない気持ちになる。

 なぜそこの作業は店員ができないのかざっくり調べてみると、どうやら責任を転嫁されないための予防策らしいことが分かった。最も手頃な発送方法なためこれからも利用するが…。

令和のガラケ侍

 スマホからガラケーに変えたいと思っている。理由としては、ありきたりだがスマホをぼーっと眺めている時間がふいに空しくなったからである。バイトが終わり、電車の中で漫然とyoutubeを開き、動画を見る。面白くも知りたくもないtwitterinstagramを周遊し、またyoutube。たった今閉じたアプリを再び開いてタイムラインを眺めようとしたときには、さすがにやばいなと思った。

 

 今使っているスマホiphone XR。大学2年の4月に契約して、本体代金24回の分割払い。そろそろ両親は契約内容を見直す頃だろうから、このことを話してみた。思ったよりも反応は良くなかった。父は私が高校生の頃からスマホを持ち、母は私が今のスマホを持つのと同じタイミングでガラケーからスマホに切り替えていた。はじめの頃は私や兄が手取り足取り教えており、ラインもこちらから送らない限り利用せず、メールでのやり取りをしていた。だがおととしの冬ごろから実家を出てからはスマホ操作を教える機会はなくなったが、ママ友達とのやり取りの中で慣れていったらしく、気づけば向こうからラインで連絡をするようになっていた。

 

 そんなこともあり、母にとってはガラケーより使用期間は圧倒的に短いスマホだが、一度確立した連絡手段が変わるのは不便なようで、ラインが使えなくなることを懸念していた。ガラケーに変えてからもラインは自宅にあるパソコンでするつもりなので、ラインができなくなることもないし、やめるつもりもない。完全に断つにはすでに関係を持ちすぎていることは自覚している。だが四六時中インターネット、SNSにアクセス”できる”状態の生活は、なんだかそれほど有意義な生活を送れていないように思う。時間と場所を限定したいという思いである。

 

 先日、友達に会ってそのことを話した。気持ちは理解できるがさすがに社会人でガラケーは無理だと両親と同様に難色を示していた。あなたの好きな音楽はどうやって聴くのか、就活はどうするのか(急な予定変更や隙間時間を使ってのES編集などがあったらしい)、電車の時刻表は、SNSはest...。たしかに指摘されて考えが及んでいなかった生活水準の変化はあった。だが全部パソコンでできるのではないか。パソコンでいいじゃん。考える材料にはなったが、ガラケーに変えたい気持ちはそんなに揺らがなかった。

 

 もう一つ、ガラケー生活がなんだかんだ大丈夫なんじゃないかと思える要因がある。高校生の時に私はスマホを使わずに生活していたからである。”使わずに”、つまりスマホは持っていた。が友達と鬼ごっこをしていたらポケットから滑り落ち、液晶がもれて操作できなくなった。パソコンにバックアップを取っていなかったため(今思えばそれほど重要な情報は全くなかったが)、正規の修理サービスではなく、非正規の修理店に持ち込んだ。そして修理が済んだ翌日に自宅マンションの4階から手を滑らせてスマホを落とした。修理代はもちろん出してもらえなかった。そのため、母が生活上よく電話での通話をよくするため、契約していたPHSをわたし用に1台持たせてくれた(どういう仕組みか3台まで持っていても料金がかわらないらしかった)。

 

 それからのやく1年半、スマホもインターネットも家の外で使わない日々が続いたものの、困った記憶が何一つない。むしろその状況のほうが楽しかった。スマホを見ないことで見える世界があった。

 

 このことも友人に話したが、結局高校生だから成り立った話であって、今とは状況が違うと一笑に付されてしまった。スマホないとそんなに困るかなぁ。

 夜中に突然の吐き気。大したことはない程度だが、右わき腹に若干の痛み。近頃変な姿勢で本を読んでいたからだろうか。

 

 最近友人に勧められつつもなかなか着手できていなかった漫画、『HUNTER×HUNTER』を読んでいる。爆速で読んでいる。富樫先生が20年以上の年月に渡り描き上げた世界を4日ほどで巡ってしまった。面白すぎる。読みだしたら止まらず、朝から深夜まで読みふけり、やろうと思っていたものは終わらず、バイトは寝不足のまま行った。生活に支障が出るほど本当におもしろい。

 

 奥付を見ると、かれこれ五年ぐらい船に乗っている。続きはいつなんだろうか。

サドル

 スーパーの駐輪場で、自転車のサドルの高さが明らかにあっていない人とすれ違った。つま先立ちでまたがり、ヒョコヒョコと地面を蹴って進んでいた。高さあげりゃいいのになと思いつつスーパーを後にするも、ふと小学生の頃の記憶が蘇る。

 

 小学生の頃の移送手段はもっぱら自転車だった。私が幼いころ過ごした地域は、そのほとんどが平坦な土地であったため、どこへ行くにも自転車はかなり重宝した。

 放課後、友達と遊ぶ約束をした集合地点へ自転車で向かう。その信号待ちの交差点で、

 

これサドル上げれるんじゃね?

 

 と唐突に気づきは訪れる。目的地への移動はそっちのけで、サドル調節に取り掛かる。普段はめったに緩めないため、さびてなかなか動かない取っ手をなんとかこねくり回す。そして緩めたサドルを何度か調節しては試乗し、その時の身長に最も合うポジションを探る。

 

 ついに、前より少しだけ高くなったべスポジサドルにまたがって乗る自転車。そこから見える景色は、今まで乗っていたのとは全く別の自転車に乗っているかのような新鮮な体験であった。また、以前よりもペダルの踏み込みに力が込めやすくなり、ぐいぐいスピードがでる。全く別世界の爽快感。

 この新鮮さは2~3回も乗れば普通になる。だが、このつかの間の景色の変化と、サドルの調節による自身の発育を実感を、私は楽しみにしていた。

 

 いまはもう身長は大幅に伸びることはなく、サドルの調節も買ったときにしてしまえばもうほとんどしない。久々に緩めてみた自転車のサドルは、普段露出している部分を境に、雨水の染みた独特の錆び方をしていた。

小路のプロパン

 今朝起きて真っ先に散歩へ出かけた。最近はレポートだなんだかんだと、夜更かしが多く朝の目覚めが悪いため、しっかり朝日を浴びて生活習慣改善という算段である。

 

 家の近くの大通りにあるコンビニで、さて今日はどちらへ行こうかとウロウロしていた。すると、近くの空き物件と理髪店の間に、長くはないが細道があることに気が付いた。見慣れた景色のなかの発見に喜びつつ意気揚々と進んでみた。

 

 ...のだが、その道の中ほどで妙な異臭がすることに気が付いた。マスク越しでもわかる異臭。これは.......ガス!どこからかガス漏れしているようだ。と思って見回すと私のすぐ横に大きなプロパンガスのタンクがあった。絶対こいつだろ。

 

 爆発してはたまらん!と思いすぐにその小路を飛び出し、コンビニのある大通りに戻った。大通りにでてしまえば異臭も全く気ならず、その小路の入り口を横切る他の通行人も、特に気に留める様子はなかった。

 

 こういった場合はどこかに通報したほうが良いのだろうか。でもどの会社に?他人の家のガスを?ガス漏れてなかったら?てか通報している間に爆発でもしたら...。そんなことを考え小路の見えるところで数分間ウロウロ考えあぐねていた。

 

 このままでは埒が明かないと思い、もう一度臭いを確かめに小路に入ることにした。小路を前にまた爆発の悪い想像がよぎったが、ままよと足を踏み入れた。

 

 ちゃんとガスの悪臭がしたらどの会社でもいいから電話で相談しようと決めた。意を決してマスクを外して嗅覚を研ぎ澄ます。タンクの周りを重点的に嗅ぎまわる...。

 

 そこには朝の澄み切ったおいしい空気が流れていた。ついさっきはマスク越しでもわかった悪臭は、跡形もなくいずこへ消えていた。

 

 

 

 やはり私の思い過しだったのか。はたまた通報したあとに起こる他人を巻き込む出来事を避けるため、嗅覚が都合の良い判断を下したのだろうか。今日の夜もう一度確かめに行こうか。とにかく惨事の種でないとよいのだが。

ローンについて

 私は大学サークルで知り合った同じ学科の先輩の家に、家賃を半分払って住まわせてもらっていた時期があった(私はこの期間を「世田谷時代」と呼んでいる)。穏やかで他人の生活に干渉し物申すような性格の人ではなかったが、一つだけよく私に言っていたことがあった。

 

「ローンだけは組んじゃいけないよ」

 

 ローン。クレジットカード会社に支払いを一旦肩代わりしてもらい、複数回に分けてそのお金を返済していく決済方法である。車や住宅など、数十・百万円もするような大きな買い物をするときに用いられる決済方法のイメージだったが、当時の私はクレジットカードを契約していなかったため、頭では理解していたつもりでもその言葉を内面化するには至らなかった。

 

 そう、つまり私は世田谷を離れてから人生で初めてのローンを組んだのである。買ったのは...ギターである。

 

 当時私はレコードショップでのアルバイトを始めて数か月、店で取り扱う音楽ジャンルに詳しくなりたいという思いから、先輩スタッフに勧められたジャズ漫画「BLUE GIANT」(著:石塚真一)を読んでいた。作中で主人公の兄が、まだ高校生で高価な楽器を買えない主人公の弟に、36か月のローンを組んで店で最上級のテナーサックスをプレゼントするのである。その姿に感化されてしまった私は早速楽器屋に赴き、一年のローンを組んでギターを買ってしまったのである。

 

 一か月で飽きた。飽きというよりは、ギターそのものに魅力を感じられなくなってしまった。生活の中で一日中他のことにわき目も振らず楽器を触っていられればいいのだが、人間それだけでは生きてゆけない。生活のほうが忙しくなり、買った直後から徐々に楽器に触れる時間が少なくなっていった。楽器には触らずとも、毎月の支払いはやってくる。支払いによって生活が困窮するほどお金には困ってはいないが、使いもしないものにお金を払っていると次第に馬鹿馬鹿しくもなってくる。毎日の生活に必要な利便性のあるもので組んでいたら多少感じ方もちがったであろうが、趣味嗜好の品となるといよいよ困ったものである。使いもしないものに自分のお金を払っていると、そのものへの魅力は、次第に嫌悪の対象へと姿を変えるのである。ものに労働させられる、主従逆転である。

 

 私はそこで、逆にお金をためて同じ値段・モノを買った場合はどんな物の捉え方になるかを考えてみた。お金を貯める場合、それを買うまで目当てのモノに思いを馳せながら、実物を手中に収めるその日のために努力したり、時には他の物を我慢する日々を過ごす。そうして長い道のりの先でついに手にしたモノは、これまでの努力に日々、募った思いを満身にうけて迎えられるのである。そうやって長い期間それに向けて努力を注げるものであるならば、早々飽きるようなものではない。そのため、長くそのモノを慈しみながら使用していけるのである。

 

 高い授業料だが、このことを身をもって実感できたことは、今後の資金繰りに大いに役立つだろう。何よりも「分割手数料」がしれっと上乗せされていた時のあの落胆のような感情は二度と感じたくないという思いが芽生えた。今後の人生ではローンで買うのではなくしっかりとお金をためて買おう。そしてこの一件で、ためてモノを買うことの良さ・理由を逆に知ることができたのだ。

 

トホホ...

 

P.S:ローンを組んだことは「BLUE GIANT」のせいだというつもりは全く毛頭ございません。むしろとても面白い漫画なのでおすすめです。