Tamagawa cirmon at night

cirmonが書くブログです。

令和のガラケ侍

 スマホからガラケーに変えたいと思っている。理由としては、ありきたりだがスマホをぼーっと眺めている時間がふいに空しくなったからである。バイトが終わり、電車の中で漫然とyoutubeを開き、動画を見る。面白くも知りたくもないtwitterinstagramを周遊し、またyoutube。たった今閉じたアプリを再び開いてタイムラインを眺めようとしたときには、さすがにやばいなと思った。

 

 今使っているスマホiphone XR。大学2年の4月に契約して、本体代金24回の分割払い。そろそろ両親は契約内容を見直す頃だろうから、このことを話してみた。思ったよりも反応は良くなかった。父は私が高校生の頃からスマホを持ち、母は私が今のスマホを持つのと同じタイミングでガラケーからスマホに切り替えていた。はじめの頃は私や兄が手取り足取り教えており、ラインもこちらから送らない限り利用せず、メールでのやり取りをしていた。だがおととしの冬ごろから実家を出てからはスマホ操作を教える機会はなくなったが、ママ友達とのやり取りの中で慣れていったらしく、気づけば向こうからラインで連絡をするようになっていた。

 

 そんなこともあり、母にとってはガラケーより使用期間は圧倒的に短いスマホだが、一度確立した連絡手段が変わるのは不便なようで、ラインが使えなくなることを懸念していた。ガラケーに変えてからもラインは自宅にあるパソコンでするつもりなので、ラインができなくなることもないし、やめるつもりもない。完全に断つにはすでに関係を持ちすぎていることは自覚している。だが四六時中インターネット、SNSにアクセス”できる”状態の生活は、なんだかそれほど有意義な生活を送れていないように思う。時間と場所を限定したいという思いである。

 

 先日、友達に会ってそのことを話した。気持ちは理解できるがさすがに社会人でガラケーは無理だと両親と同様に難色を示していた。あなたの好きな音楽はどうやって聴くのか、就活はどうするのか(急な予定変更や隙間時間を使ってのES編集などがあったらしい)、電車の時刻表は、SNSはest...。たしかに指摘されて考えが及んでいなかった生活水準の変化はあった。だが全部パソコンでできるのではないか。パソコンでいいじゃん。考える材料にはなったが、ガラケーに変えたい気持ちはそんなに揺らがなかった。

 

 もう一つ、ガラケー生活がなんだかんだ大丈夫なんじゃないかと思える要因がある。高校生の時に私はスマホを使わずに生活していたからである。”使わずに”、つまりスマホは持っていた。が友達と鬼ごっこをしていたらポケットから滑り落ち、液晶がもれて操作できなくなった。パソコンにバックアップを取っていなかったため(今思えばそれほど重要な情報は全くなかったが)、正規の修理サービスではなく、非正規の修理店に持ち込んだ。そして修理が済んだ翌日に自宅マンションの4階から手を滑らせてスマホを落とした。修理代はもちろん出してもらえなかった。そのため、母が生活上よく電話での通話をよくするため、契約していたPHSをわたし用に1台持たせてくれた(どういう仕組みか3台まで持っていても料金がかわらないらしかった)。

 

 それからのやく1年半、スマホもインターネットも家の外で使わない日々が続いたものの、困った記憶が何一つない。むしろその状況のほうが楽しかった。スマホを見ないことで見える世界があった。

 

 このことも友人に話したが、結局高校生だから成り立った話であって、今とは状況が違うと一笑に付されてしまった。スマホないとそんなに困るかなぁ。